1980年の開店。    

      その年の正月から作り、親戚、お友達、お客さんへ出し始めた・・・年賀状。

                   当時の店の状態や、家族の動向も記憶に残すことの出来る貴重な・・・お宝であります。










1981

いかにも時代を感じさせる 開店して
初めて
店からの年賀状です。

プリント・ゴッコ(当時流行ってたぁ)を買い
店のコーヒー・チケットやら、
マッチのラベルの製作など
たいへんアイツには、お世話になりました。

『あぁでもない!こうでもない!』 と、
考えたあげくの1枚。
(今、見るとそのお粗末さに赤面するが・・・)

両手をインクだらけにし
乾燥させるのに
部屋の中いっぱいに並べて、朝方までの
徹夜作業・・・。


ちなみに二人が別姓なのは
結婚前だった・・・・・証明です。
1982

ご覧のとうり 結婚して初めての正月を迎える
 1982年の年賀状。

普通なら
結婚披露宴のケーキ・カットの写真でも使いそうだが、
親戚も全部 コレで済ましてしまった(笑)。

インクのかすれなど全く気にしない
手作りすることに
 異常にこだわっていたことが
証明される・・・1枚である。
1983


なかなか、爆発具合が気持ちイイ! 
FUNKYな作品。

店名も英語読みで
 SUNSET CARNIVAL(おだってる・・・)
ロゴは多分、雑誌からの切り抜きを貼りつけたので
は・・・

二人の名前も ;トミーとマツっぽくて
           GOOD!           

ちなみに コレは現物がなく 

・・・プリント・ゴッコの原稿である。

1984

これまた、Rock魂全開!の作品。
いったい何を
考えていたのやら・・・・・

しかし、今から思うに
公私ともに
活気に満ちていた時期だと思う。

EROSという字が左上に見えるが
当時、月1回 “EROSの会” という
バカ騒ぎの飲み会をやっていた。
わずかな会費で酒を買い
無礼講の
大飲み会だった。

大学生や働いたばかりの20代前半の
常連客が
我が家のように
店に集まってくれた

悔しいがあの熱気は
二度と味わえないだろう・・・
1985
この年・・・
正月の時点では、決まってはいなかったけど
旧店舗(1条西5丁目)から現店舗(3条西2丁目)への
工事も含め、移転のあった節目の年でした。

店舗も広がり、設備も整え
ライブハウスとしての、本格的なスタートを
切った!のも・・・この年でした。
1986
新店舗に移り、目まぐるしく半年が過ぎ
・・・年末へ

忙しくて、よっぽど時間がなかったのか?
けっこうな手抜きっ!(笑)

これまでお世話になった
“プリントゴッコ”に別れを告げ、翌年から印刷屋さんに
頼むことになったよう・・・
“ワープロ”の導入も・・・この時期か??
1987
うさぎ年の1987年。

手書きのイラストは自分で・・・
印刷やロゴ等は・・・印刷屋さんへ。

高校生バンドも数多くあり、けっこうな枚数の年賀状

送っていた記憶が・・・

毛を逆立たせ疾走する うさぎさんの如く

店もライブも
突っ走ってた頃でも、あります・・・
1988

・・・荒涼とした砂漠を旅する 異邦人
重い足をひきずりながら
たどりついた
朽ちかけた 店。

明かりといっしょに、漏れて聞こえる
ジプシーの唄・・・

実際の話、年賀状の裏面のアイデアを
考えるのは
たいへんな作業だ。
早くから準備をしていればいいものを
決まって12月に入り
印刷屋さんの締め切りギリギリに
仕上げる始末だ。

すべて手書きのモノクロの作品だが
実は気に入っている。

学生時代 先生の目を盗んで
ノートの端に書いていたイラストが
思い出される・・・
1989

よく考えてみると
年賀状のデザインに
ピアノが登場することが多いようだ。

別に、店にピアノが
置いてあるわけでもなく
もちろん
jazzが流れるピアノ・バーでもない。

個人的に ピアノ・マン が好きで
ある種の憧れからくるものと思える。

レオン・ラッセル
エルトン・ジョン
ビリー・ジョエル
ドクター・ジョン
ランディー・ニューマン



すべての鍵盤弾きに、捧げます

(上の手書きのコメントは、実家にあてたモノ)
1990

 夕焼けまつり10周年を迎える、この年。
初めてのツー・ショット!で
年賀状を飾った。

もしかしたら
第2期黄金時代だった!
かもしれない、この頃・・・

バンド・ブームもあり
活気のあるLIVEが増え
ライブ・ハウスとしてなんとなくではあるが
軌道に乗りだした頃・・・

カラーでお見せできないのが
残念だが
PIKKOのカラフルな
7色のヘアー
圧巻(?)であった。
1991

幸せPHOTO 第2弾!(笑)

大理石のフロアで
楽しくダンスを踊る二人・・・を、イメージして
作ったこの年のカード。

まもなく
35歳を迎えようとしている二人。
10代、20代のような
燃焼することに
全精力を注いでいた頃とは
一味違った 愛のカタチ 
確信したかのように
歩み出す・・・二人のステップ。

屈託のない笑顔の
その訳は・・・?

しばし待て!
5月の風が吹く頃まで・・・
1992

ジャ ジャーン!お待たせしました!
遂に登場!

いきなりオリコン1位みたいな・・・!
2人組のユニット“夕焼けまつり”から飛び出した!
ウルトラ・メガ・ヒット!!

もう、理性も知性も失うぐらいの
 我が娘の誕生 に
さっそく親バカぶり発揮のこの年の
カードでした・・・が
1993

CMや映画の世界で
こどもと動物を使っておけば
マチガイない!
と、いわれているようだが・・・

そんな不純な動機からではなく
我が子に
しばらくの間
店の 看板娘 になってもらおうと
契約金なしで
話がついての・・・この作品。

元カメラマンの面倒な注文にも
いやがらずに答え
『こいつ!もしかして素質 あるかもぉ!?』
(それが、親バカだっちゅうの!)
と、24枚撮った中からの
ベスト・テイク!

キャッチ・コピーも
けっこう、気に入っている。
1994

本格的に Jリーグ も始動し
夏にはアメリカで
ワールド・カップ!

サッカー好きの私にとって
1994年は最高に楽しめる年になりました。

そんな訳でうちの専属モデルにも
こんな格好させちゃって・・・

ちなみに
彼女が右足をのせているのは
実際の撮影では ごみ箱のふた でして
残念ながら
本物のボールに
のっかったままポーズをとるのは
無理のようでした。

デザイン的には気に入っている1枚。
1995

1980年から店を始めて15年目となる
この年。

玲奈に花束を持たせ
15の文字をリースで飾ってみた。

いつもの事だが
12月あたままでにデザインを決め
中頃に印刷があがり
よくてクリスマス
ヘタすりゃ、30日頃までかかり
表の宛名書きをし、あわてて
ポストへ・・・。

まぁ、表の作業は
ほとんど PIKKOの出番ではあるが・・・

そして、31日は
恒例の 年越しライブ で大騒ぎ!
このカードを見てあらためてビックリ!

『元旦も営業してたんだぁ!』
1996

玲奈を起用しての年賀状も
5作目となる。

もうこの頃になると
やっこさんも慣れたもんで
メイク室に入るやいなや
マネージャーに今日のスケジュールを
早口で言わせたり
新人のスタイリストや
ヘア・メイクさんには
容赦なく、どやしつける始末。

濃いサングラスをかけ
細い外国タバコを
くゆらす彼女に
今回のテーマを絵コンテを
見せながら説明すると
ものの3分足らずで、このとうり・・・

恐ろしき プロ魂!
1997

今年は 牛年!モーモー年!
何かいいネタ、はないか?
と、自宅のレコード棚を探していたら、

『こっ、これだぁ!』

偶然、見つけた 
ピンク・フロイドの名作 『原子心母』

いいんじゃないの・・・

焦らず、焦らず・・・
店も、牛歩戦術でいこうっと!
1998

20年を振り返ってのこの年賀状の
コーナーも
いよいよあと3枚となった。

パソコンの編集用語に
貼りつけというのがあるが
これまでのカードの大半は文字どうり
ハサミとのりが必要な
手貼り作業で出来上がった
モノだ。

おまけに予算の都合で
単色刷りしか使えず妥協してきたが
この年の作品ほど
『フル・カラーだったらなぁ!』と、
悔しく思ったことはない。

しかしタテ版は
コメントが長くなきゃならないので
困った・・・(いやぁ、マジで)
1999

1998年3月から、住まいが変わった。
中古ではあるが、値段の割には
いい買い物だったように思う。

そして98年秋、久しぶりに家族3人で休みをとり
旅行に出かけた。
札幌から夜どうし走ってたどりついたその湖は
朝もやにつつまれていて、湖水から吹く風は
心地良かった。

3人の眺める先には、有珠山が・・・。
1日も早い鎮静を祈る・・・。
2000

長い間 お楽しみいただきました
(自分が一番楽しんでたりして・・・)
この年賀状紹介のコーナーも
これで、おしまいです。

これまでにも
『今年から・・・ヤメようか!?出すの!』
なんて話も無かった訳じゃないんです。

でも、こうして年代をおって
並べてみると
『あぁ!やってて良かった!』
と、正直思っています。

2000年を前にして
夕焼けまつりもついにパソコン
導入しました。

今回は20年をひとまとめに
振り返ってみました。
次の20年も、いつの日か
紹介できたらいいなぁ・・・と、思っています。